艦これがクソゲーかどうかなんて、そのくらい自分で決めようよ

Googleの機能を使ってこのブログがどういう検索フレーズの検索結果に表示されているか調べてみたところ「艦これ クソゲー」の検索結果に表示されるらしい。へぇ…。

この「艦これ クソゲー」で検索した人は何を求めて検索したんだろうね。

「艦これ クソゲー」で検索した人が求めるもの

多分「艦これってクソゲーだわ」という感想記事を求めていたんじゃないかな。

「艦これをクソゲーだという人は、どの部分をクソゲーだと感じたのか」という分析をやりたくて検索したとか、他にも色々な可能性が考えられるけど。

クソゲーかどうかくらい、自分で決めようよ

感想記事を求めていたのなら、それは悲しい。「艦これをクソゲーだと感じたこと」ではなく「他人に肯定してもらわないと、自分でクソゲーだと言い切れないこと」が悲しい。

自分で艦これをやって「これクソゲーじゃん」と感じる。それは健全で、誰に文句を言われる筋合いもない立派な感覚だと思う。感覚の話だから正解なんてないんだよ。あなたがそう感じたのならそうだし、あなたがそう感じなかったのならそうじゃないんだよ。好き嫌いと同じ。「肉が好きなのは正しい」「魚が嫌いなのは正しくない」っておかしいでしょ。

だから「これクソゲーじゃん」と感じて、アカウントを削除するか何かして、それで話が終わるの。「「艦これ クソゲー」と検索する」なんて作業は必要ないわけ。

自分の感覚に自信を持てば、作業が減って楽になる

「艦これ クソゲー」と検索したあなたは、多分他にも「肯定してもらうための感想検索」を繰り返してきたと思う。毎回時間を掛けて肯定してもらって、やっと「私これ好き」と言える。面倒くさい。

最初から「私これ好き」ときっぱり言えれば、今後一切感想検索が必要なくなる。「感じること」の負担が減って肩凝りが解消されるよきっと。

感覚に正解はない。あるのは振る舞いの良し悪しだけ。「どう感じるのが正しいか」ではなく「そう感じたとき、どう振る舞うのが幸せに繋がるか」。料理が不味かったとき、それを料理人に伝えるか伝えないか。伝えるとしたらどう伝えるか。

だから不味いものは不味いでいいんだよ。「艦これはクソゲー」でいいんだよ。「艦これはクソゲー」だったら、じゃあどうするか。大切なのは「艦これはクソゲー」の次なんだよ。